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2009年5月15日

【映画】「1億総映画監督時代」到来!?

最近、デジタルカメラを買おうか悩んでいます。

快晴のゴールデンウィーク初日、
鎌倉の大仏や横浜中華街の雑踏を歩きながら、
カメラへの購買欲は膨らむ一方でした。

高校の同窓会で不覚にもデジタルカメラを紛失した母親を、
このときほど恨んだことはありません。

やはり、デジタルカメラを買おう。
どうせなら、デジタル一眼が欲しい。
だとしたらキヤノンか、ニコンか、それともペンタックスか…。

一転してぐずついた天気のゴールデンウィーク最終日、
私はデジタルカメラの“市場調査”を敢行すべく、家電量販店を訪れました。

人混みを縫って、いざデジタルカメラのコーナーへ。

そんな私の眼に、
ずらりと並ぶデジタルヴィデオ・カメラ(DV)が飛び込んできました。

いつの間に時代は進化したのか、その種類は多種多様。
画質に優れ、且つ、値段は低下傾向にあると聞きます。

そして私は、規則正しく陳列されたDVの一角を眺めながら、
或ることに思いを馳せました。

いわゆる“映研”に属する現代の若者たちは、
フィルムではなくDVを用いて映画を撮っているのだろうか?

方々に借金を拵えながら高価なフィルムを購入し、
そこに自らの思いの丈を命懸けで焼き付ける時代は、遠い昔の話なのだろうか?

もし仮にフィルムではなくHDDに思いの丈を“記録”するとしたら、
それは何処か寂しい、青春とは似つかわしくないものに感じられるのでした。

フィルムと異なり、いくらでも撮り直し、上書きすることが可能なDVの登場は、
“映画を撮る”という行為を根本から覆すものです。
(それは同時に、写真に於けるデジタルカメラの登場にも置き換えられます)

“DV革命”とでも呼びたくなる革新性に満ち溢れながら、
一方で功罪の大きさも計り知れません。

しかし、現に黒沢清や塩田明彦といった著名な映画監督は、
DVを用いて優れた映画を完成させています。
(黒沢清の「アカルイミライ」はまさにその“革命”的な一本!)

高画質で機能的にも平易なDVがより普及すれば、
誰でも気軽に映画を撮ることのできる時代、即ち「1億総映画監督時代」の到来も夢
ではありません。

ただし、素人がDVで映画を撮ったとしても、
プロの映画監督のレベルに匹敵することは容易ではありません。

かつての当事者として自戒の念を込めて言うと、
素人が撮った自主制作映画は、得てして幼稚な実験性と自己陶酔に溺れ、
正視に耐え難いものが殆どです。

せめて映画らしい映画を撮るためにも、
DVで映画を撮るための入門書があっても不思議ではありません。
(現に映画監督の入門書が存在するように)

まずは、各メーカーのDVの特性、機能性、そして価格の比較。

前述したDVで映画を撮影している監督たちへのインタビュー。

そして肝は、どうすればDVによって優れた映画を撮影することができるか。

それには、映画の基本的な演出術、リヴァース・ショットやカット・イン・アクショ
ンといった手法、あるいはイマジナリー・ラインという概念を、成瀬巳喜男や小津安
二郎を例にとって解説する必要があるでしょう。

それはDVに限らず、映画を撮る上での基本的な約束事であり、
これらを押さえていれば、多少なりとも物語が退屈であろうと、
ある程度は鑑賞に堪え得る作品が完成するはずです。

この入門書を手に、皆がDVで気軽に映画を撮る時代が訪れれば、
極まれに“突然変異”のような突出した才能が現れるのではないか。
(例えば横浜聡子の処女作「ジャーマン+雨」のように、映画の概念を覆すような作
品が)

そして何より、これまで敷居が高いと思われていた“映画を撮る”という行為が、
少なからず身近に感じられるのではないか。

そんな“映画の革命”を妄想し、私はDVの一角を後にしました。

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北鎌倉の駅からほど近い円覚寺に、
日本を代表する映画監督・小津安二郎の墓所があります。

その墓石には、小津安二郎の名も、忌日すら記されておらず、見る者を唖然とさせ、
そして深い感動に導く“たった一文字の漢字”が刻まれているのみです。

私は、その“たった一文字の漢字”をカメラに収めようと思い立ち、
人だかりのできるデジタルカメラのコーナーへずんずんと向かったのでした。

担当はTKでした。

TK

投稿者 TK : 2009年5月15日 09:30